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攻略日記





関ヶ原の戦い






今回のシナリオは、1600年06月 関ヶ原の戦い。
プレイ大名は、徳川家康です。



前回、徳川家康でプレイしてきました。
残念ながら、戦国伝「関ヶ原の戦い」をプレイできませんでした。

なので、このシナリオでプレイしたいと思います。





今回も、イベント中心に楽しんでいきます。





地図


徳川の領土は、というと。

関東周辺と、山城国の伏見城、紀伊国の和歌山城、大和国の高取城を支配していました。









勢力情報(兵数順)


徳川家の兵数は、トップ。
少し抜きんでています。





徳川家の一門武将











開始してすぐに。

動画発生。





豊臣秀吉亡きあと。

後継者である豊臣秀頼(とよとみ ひでより)を五奉行、五大老のメンバーで支えていきます。

※五大老
徳川家康
毛利輝元
上杉景勝
前田利家
宇喜多秀家

の五大名のこと。





※五奉行
石田三成
浅野長政
前田玄以(まえだ げんい)
増田長盛(ました ながもり)
長束正家(なつか まさいえ または ながつか まさいえ)

石田三成は、主に行政担当でした。





秀吉死後の政治抗争の過程で、五奉行、五大老は徐々に崩壊。



そして、慶長5年(1600年)の春頃から。

大老である上杉景勝と徳川家康との関係が悪化していきます。



徳川家康は、上杉家の築城や河川の架橋について。
豊臣政権への別心(べっしん)であるとして、詰問(きつもん)します。

※別心(べっしん) 
そむこうとする気持ち。ふたごころ。反逆。

※詰問(きつもん)
相手を責めて厳しく問いただすこと。





さらに。

徳川家康は、上杉景勝に上洛を要求。

この要求に対して。
上杉景勝は上洛の意志を伝えます。

そのあと。
上洛延期と、上杉家に謀叛の疑いをかけた者の追及を要求します。





結局のところ。
上杉側の提示した要求は受け入れられず、上杉景勝の上洛は中止に。



このとき。

上杉家の家老であった直江兼続(なおえ かねつぐ)。
上杉景勝への上洛要求を挑発的な文面で批判した、いわゆる「直江状」と言われる史料があります。





「直江状(なおえじょう)」の概略



主君、上杉景勝には、全く逆心はありません。

※逆心(ぎゃくしん)
主君に背く心。謀反の心。



讒言(ざんげん)をする者を調べるのが当然です。
それをしないようでは、家康様に裏表があるのではないかと思います。

※讒言(ざんげん)
事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと。



前田利長殿は、家康様の思う通りになりました。
家康様の御威光が強いということですね。



上杉景勝に逆心があるなら、意見するのが徳川家臣である榊原康政の役目です。
それが家康様のためにもなるのに、それをしないばかりか、様々な工作をして妨害しています。
彼が忠義者か、奸臣(かんしん)か、よく見極めてからお願いすることになるでしょう。

※奸臣(かんしん)
国を傾けた臣下のこと。邪悪な心を持った家来。



田舎武士は、鉄砲や弓矢の支度をするのがお国柄です。
そんなことを気にするなんて、天下を預かる人らしくないですよ。



上杉景勝に逆心はないと申し上げました。
それなのに、逆心がなければ上洛しろなどと、赤子の言い方で問題になりません。
逆心はないとはいえ、逆心の噂が流れている中で上洛すれば、上杉家代々の弓矢の誇りまで失ってしまいます。
讒言をする者を引き合わせて調べていただけなくては、上洛できません。
上杉景勝が間違っているか、家康様に表裏があるか、世間はどう判断するでしょうか。



直江山城守兼続





徳川家康に対する、直江兼続の喧嘩口調がとても面白いです〜。










その後。

徳川家康は、上杉征伐のために出陣しました。





戦国伝「関ヶ原の戦い」発生






上杉征伐のため。
徳川家康隊を小山城に向けて進軍させます。




イベント発生。








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徳川家の東軍と石田家の西軍。
2つの連合に分かれてました。






それからすぐに。

山城国の伏見城に、西軍が攻め寄せてきます。




伏見城の城主は、徳川家臣の鳥居元忠。













また、イベント発生。




西軍の石田三成。

大坂玉造の細川屋敷にいた細川ガラシャを人質に取ろうとします。
細川ガラシャは拒絶。

その翌日、石田三成は実力行使に出て、兵に屋敷を囲ませた。





細川ガラシャ。
明智光秀の三女で、細川忠興の正室です。







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細川家の家臣は、細川ガラシャを介錯(かいしゃく)します。

※介錯(かいしゃく)
切腹に際して、本人を即死させ、その負担と苦痛を軽減するため、介助者が背後から切腹人の首を刀で斬る行為。





細川ガラシャ、死亡。





このとき。

夫である細川忠興は徳川家康に従い、上杉征伐に出陣中でした。

屋敷を離れる際に、
「もし自分の不在の折、妻の名誉に危険が生じたならば、日本の習慣に従って、まず妻を殺し、全員切腹して、わが妻とともに死ぬように」
と、家臣たちに命じていたそうです。






辞世の句の内容

花も人も、散りどきを心得てこそ、美しいものです。
私も、そうありたいと願います。

という意味だそうです。











今回はここまで。



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