前回の内容。
織田と徳川は協力して、武田家を攻め滅ぼしました。
それから、数ヶ月後・・・。
イベント発生。
その隙を狙って。
織田家の重臣である明智光秀(あけち みつひで)、まさかの謀反(むほん)。
本能寺にいた織田信長。
早朝の寝ているときを襲われました。
本能寺にいた織田信長の配下は、多くても、150〜160人ぐらいだったとのことです。
対して、明智軍は1万3000人以上で、本能寺を包囲。
桔梗紋(ききょう もん)は、明智家の家紋です。
「(和睦の交渉や、逃走経路を探すなどはしないで)攻めてきたなら戦うだけだ。(戦う準備をせよ)」という意味だそうです。
死のうは一定 忍び草には何をしよぞ 一定語り起こすよの」
織田信長が愛唱した小唄(こうた)です。
意味は、
「死のうは一定(いちじょう)」 誰にでも死は訪れる(みんな、やがて必ず死ぬという意味)。
「忍び草には何をしよぞ」 自分の死後にも語り継がれる事をする為に、何をしようか。
「一定語り起こすよの」 後の世の人は、自分のしてきた事を語り継いでくれるだろう。
だそうです。
圧倒的多数の明智軍には敵わず、織田信長は自ら火を放ち、燃え盛る炎の中で自害して果てました。
享年49歳。
advertisement
徳川のイベント発生。
徳川家康は、京へ向けて進軍を開始します。
尾張(おわり)まで、進軍したところで。
山崎の戦い(やまざきのたたかい)にて、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は明智光秀を討ち取ったの報告がきます。
このまま京に進軍しても、意味がないと判断した徳川軍。
方針転換します。
advertisement
北条と上杉を同時に相手にするのは、分が悪いということで。
真田(さなだ)家と同盟を結ぼうと画策します。
明智家は滅亡となりました。
戦国伝「天正壬午の乱(てんしょう じんごのらん)」発生
イベント終了後。
徳川家は、南信濃(みなみしなの)を獲得していました。
日本地図。
織田家の領土は、羽柴、柴田、清州(きよす)織田、岐阜織田家の大名に分裂。
徳川家の同盟国は、羽柴、清州織田、岐阜織田家となりました。
勢力情報(兵数順)
徳川家は、5番目ぐらいの兵数を所持。
今回はここまで。
Copyright (c) 歴史を楽しむ! All Rights Reserved.