戦国伝「天正壬午(てんしょう じんご)の乱」
新府城に、北条家が攻め込んできました。
北条の部隊は、鉄砲や馬を装備してません。
これなら、楽勝かな。
北条氏照(うじてる)、氏邦(うじくに)、氏直(うじなお)の部隊を撃退しました。
戦国伝「天正壬午の乱」
北条から新府城を6ヶ月間防衛に成功。
突如。
イベント発生。
織田家の重臣の筆頭、柴田勝家(しばた かついえ)。
羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、主君である織田信長の仇である明智光秀を討ち果たしました。
その後の羽柴秀吉の傍若無人なふるまいに、羽柴秀吉を敵視、そして戦いに。
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羽柴秀吉 vs 柴田勝家。
この戦いは、羽柴秀吉が勝利しました。
柴田勝家が擁立(ようりつ)した織田信孝(おだ のぶたか)も自刃させられてしまいました。
羽柴秀吉、柴田と岐阜織田家を滅亡させる。
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」
機が熟するまで、辛抱強く待とう。
という意味です。
徳川家康の人物を表現した作者不明の言葉です。
徳川家康は、柿が熟して落ちるのを待つように、織田信長の同盟者として戦います。
そのあと、豊臣秀吉の政権に参加。
豊臣家の筆頭大老として、豊臣家を支え続けました。
それはやがて、自分の手に天下が掴み取れるチャンスが来ることを自然にまかせ、無理をせずに待ちました。
そして秀吉の死後、そのチャンスが巡ってきて、関が原の戦いに勝利して徳川の世を手に入れました。
真田家の信用を上げて・・・。
真田家と同盟を締結。
真田家の当主、真田昌幸(さなだ まさゆき)
大変すぐれた人物ですね〜。
能力を見ると、天下を狙えます。
のちに真田家は、徳川に敵対行動することになります。
戦国伝「天正壬午の乱」達成!
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イベント発生。
徳川家康は、信濃、甲斐を支配下におくことができました。
さらに。
真田家と同盟を締結して、徳川家はあなどれない勢力に。
北条家は、徳川を脅威とみなします。
西には、日の出の勢いの羽柴秀吉がいます。
徳川家は、東(北条)か、西(羽柴)か、目標(敵対行動先)を悩みます。
悩んだすえに。
北条家と婚姻。
徳川軍は、西をめざすことになっていきます。
徳川家康、官位を取得しました。
今回はここまで。
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