信長の野望 創造
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攻略日記





是非に及ばず






戦国伝「夢幻の如く」


戦国伝を進めていきます。



織田信長と、嫡男である信忠を二条城に移動させます。



条件が追加されました。




明智光秀、二条城に到着。



イベント発生。




明智光秀が、謀反の思いを表したとする説があります。
「時」を「土岐」、「雨が下しる」を「天が下知る」の意味であるとしています。

「土岐氏の一族出身であるこの光秀が、天下に号令する」という意味合いを込めた句であると言われています。
他に、「天が下知る」というのは、朝廷が天下を治めるという考えもあるそうです。











動画再生きました〜。



明智光秀の桔梗(ききょう)の旗印を見て、

織田信長「是非(ぜひ)に及ばず」。



織田家中において、頭脳明晰と知られた明智光秀の大軍勢に囲まれて、「仕方がない」「どうしようもない」と諦めて言った言葉だと思っていました。

本来の意味は、「(和睦の交渉や、逃走経路を探すなどはしないで)攻めてきたなら戦うだけだ。(戦う準備をせよ)」という意味だそうです。





圧倒的多数の明智軍には敵わず、織田信長は自ら火を放ち、燃え盛る炎の中で自害して果てました。

享年49歳。



戦国伝「夢幻の如く」達成!




すぐに、イベント発生。

羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)、信長の死を知る。




すぐに、毛利と和睦を結ぼうとします。


※緘口令(かんこうれい) ある事柄(織田信長の死亡)に関する発言を禁じること。





毛利家は疑問を抱くも、度重なる織田軍との戦いで疲弊。
やむなく、承諾します。

羽柴秀吉と毛利家の和睦(わぼく)は成立。







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戦国伝「山崎の戦い」発生。




さらに、イベント発生。


明智光秀、織田の武将を味方に誘う。






明智光秀は、足利将軍家に使えて苦難の時期を共にすごし、親戚でもあった細川藤孝を、味方に引き入れようとします。

しかし。

再三の要請にも、細川藤孝は居城より動かず。



細川藤孝は、剃髪して細川幽斎と改名。




細川幽斎














イベント終了後。

プレイヤー大名は、羽柴秀吉に変更されていました。








羽柴秀吉の領土








勢力情報

羽柴家は最大勢力でした。
しかし、他家とそんなに変わらない状況です。




同盟国は、徳川、柴田、清州織田、岐阜織田家です。
毛利家とは、停戦中です。


いわゆる。
羽柴秀吉の新規プレイ開始の状況みたいです。

今後は、羽柴秀吉にてプレイします。





今回はここまで。



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