北条家の周辺地図
北条家の「本城」支配数は2。
相模、伊豆。
同盟国は3ヶ国。
今川、古河足利、千葉家。
武将数は11人です。
まずは。
内政や道路の整備を行います。
とりあえずは、一段落。
戦国伝「山中の戦い」をすすめていきます。
武田家の富士吉田城に進軍。
武田軍を挟撃します。
最強の武田騎馬隊と対峙して、北条軍は続々と退却します。
多目元忠隊、退却。
富永直勝隊、退却。
北条氏康隊、退却。
北条綱高隊、退却。
なんとか武田軍に勝利。
城を包囲するも、北条軍の兵士はほとんどいません。
「強攻」で、城の耐久をゴリゴリ削ります。
その間にも、武田の援軍はきます。
多目元忠隊600到着。
そして、包囲完了。
陥落させました。
ふぅ〜。
武田軍が強くて、かなりきつい戦いでした。
ギリギリ陥落させた感じです。
戦国伝「山中の戦い」達成!
北条氏綱「兵家」修得。
部隊の挟撃効果上昇です。
すぐに、イベント発生。
今川家の当主、今川氏輝。
突然、不審な死を遂げる。
梅岳承芳(せんがく しょうほう)、のちの今川義元。
玄広恵探(げんこう えたん)、別名 今川良真(いまがわ ながざね)。
この2人の弟の間で、後継者争いがおこります。
武田家は今川義元を援助するとの申し出に、今川義元は快諾。
このことにより、武田と今川の同盟は成立してしまいます。
戦国伝「第一次河東一乱」発生。
今川と武田は同盟を締結。
そして、北条と今川の同盟は、解消。
今川家とは「断絶」状態になってしまいました。
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北条氏綱、左近将監になる。
武田軍との交戦により、著しく兵数は減少。
しばらくは、兵数の回復に努めます。
しばらくすると・・・。
武田軍は、山内上杉家に攻め込んでいます。
今が好機。
今川家の蒲原城に攻め込みます。
武田の援軍はこないはず。
今川軍、強し。
富永直勝隊、退却。
北条氏康隊、退却。
一度、全軍退却。
腰兵糧を補給。
すぐに再侵攻します。
弱体化した今川軍を破り、城を包囲。
包囲中に、今川の援軍と交戦。
なかなかの激しい戦いに。
そして。
蒲原城、陥落。
戦国伝「第一次河東一乱」達成!
すぐに、イベントが発生。
扇谷上杉家(おうぎがやつ うえすぎけ)の上杉朝興、死去する。
北条家はこの隙をついて、河越城に狙いを定めます。
北条綱成(ほうじょう つなしげ または つななり)。
北条氏綱の娘をめとり、北条家の一門となる。
北条氏綱は、敵方の武将といえども有能な人材を登用できるところは、大名としての器を感じさせます。
北条綱成は、今川家の家臣であった福島正成の子です。
父の福島正成は、今川家の跡目争いに敗れたため、綱成は北条家を頼ったようです。
北条五色備(ほうじょう ごしき ぞなえ)の「黄」備(黄色の部隊)を率いて、大活躍してもらいましょう〜。
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戦国伝「河越城攻略」発生。
蒲原城に侵攻中。
北条氏綱の四男、北条氏尭(ほうじょう うじたか)が元服しました。
漢字が読めない〜。
どちらかというと、政治向きの武将ですね。
北条氏綱、特性「禄寿応穏(ろくじゅおうおん)」修得。
これはよいですね〜。
戦争に役立つ特性です。
戦国伝「鶴岡八幡宮再建」。
玉縄城の兵舎区画を、長期にわたり開発。
やっと「八幡宮」の建設に着手。
次の目標。
玉縄城を防衛できればよいみたいです。
現在の勢力情報(兵数順)
北条家より勢力が大きい大名は遠方にあるため、ひとまず安心です。
1537年6月
「本城」支配数は2。
相模、伊豆。
同盟国は2ヶ国。
古河足利、千葉家。
武将数は13人。
慢性的な武将不足です。
今回はここまで。
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