交戦中に敵の捕虜となった
前の日記 : 後北条家 第4代当主
前回の内容
北条との戦い。
尾張を制圧して、東に侵攻中。
長宗我部家の外交状況
同盟国は前田と毛利、島津家。
従属国はなし。
続きです。
黒田官兵衛(くろだ かんべえ)軍団。
美濃国(みののくに)の岩村(いわむら)城を陥落させる。
この岩村城。
付近は霧が多く発生するため、別名 霧ヶ(きりが)城ともよばれています。
頼りにしている軍団長の黒田官兵衛。
北条家の捕虜に。
ついでに家宝も奪われた。
むぅ~。
なんたる失態。
どうしようもないので、とりあえず放置します。
自分で操作している長宗我部の直轄軍は、
三河国(みかわのくに)に進軍。
本城である岡崎(おかざき)城を手にいれた後。
ちなみに。
本城を25個支配すると発生します。
征夷大将軍(せいい たいしょうぐん)について
平安時代の初期に置かれた東北地方の蝦夷(えみし、えびす、えぞ)を討伐するために新たに置かれた役職のこと。
時代とともにそのイメージは薄れていきました。
鎌倉時代になると、「幕府を開く武士のトップ」という地位に意味が変わっていきました。
次の目標。
本城の支配 30城を目指します。
つまり、あと本城を5個追加支配すればよいのです。
本城を奪うために、
北条領土に侵攻を続けます。
そう思った矢先に。
北条軍が攻め込んできた。
北条と足並みそろえて。
同盟延長しなかった武田軍も侵攻してくる。
武田勝頼(たけだ かつより)さん、とても優秀です。
烏峰(からすみね)城の防衛は委任軍団におまかせ。
その後・・・。
烏峰城の防衛は成功したようで。
委任軍団は苗木(なえぎ)城を降伏させ。
信濃国(しなののくに)を狙っています。
長宗我部の直轄軍は、というと。
三河国(みかわのくに)に進軍中。
ふと。
武田家の領土を見ると。
委任軍団が攻め込んでいました。
委任軍団により、武田家は滅亡!
39人もの武将を長宗我部の家臣団に加える。
武田家を滅ぼした後。
委任軍団は同盟国の前田家と共に、
北条領土に大挙進軍中。
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東海道方面では。
委任軍団が陥落させました。
木下勝俊(きのした かつとし)さん、活躍しています。
木下家を滅ぼしたのに、長宗我部家で活躍しているのを見ると。
なんか切ない。
次は浜松(はままつ)城を狙う。
黒田官兵衛、発見。
まさかの北条軍の一員となり、長宗我部に刃をむけてきた!
捕縛された後、北条方に寝返ったか。
軍団長として厚遇したのに。
長宗我部家の恩を仇(あだ)で返すとは。
ぬうぅ。
黒田官兵衛隊を全滅させ、少しすっきり。
捕縛(ほばく)は出来ず。
捕縛していたら、
市中引き回しの上、斬首していたかもしれない~。
軍団長だった黒田官兵衛が捕まって北条に寝返った後。
新軍団長は加藤嘉明(かとう よしあきら または よしあき)さんになっていました。
知略はもう少しほしいところですが、とても優秀です。
東海道の侵攻はどうなったのか。
犬居(いぬい)城を降参させ。
掛川(かけがわ)城を落とし。
現在、長宗我部軍は小山(こやま)城に侵攻中。
登用(とうよう)に応じなかった北条家の忠臣は。
政治向きの武将は解放してあげました。
他大名の戦力と比較して。
長宗我部家の天下は、ほぼ確実でしょう。
長宗我部家の外交状況
同盟国は前田と毛利、島津家。
従属国はなし。
余談
戦国時代の「天下」について
山城国(やましろのくに)
大和国(やまとのくに)
摂津国(せっつのくに)
和泉国(いずみのくに または いづみのくに)
河内国(かわちのくに または かはちのくに)
山城、大和、摂津、和泉、河内、これらの5ヵ国のことを戦国時代では「天下」と総称されていたそうです。
なので、織田信長の天下布武(てんかふぶ)の印章。
この「天下」は日本全国を指すのではなく、京都や大阪、奈良、兵庫県付近のことだそうです。
今回はここまで。