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人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし




家康公遺訓(徳川家康の遺訓)として広く知られていますが、残念ながら偽作だそうです(Wikipediaより)。

明治時代、幕臣である池田松之介が、徳川光圀(とくがわ みつくに)の遺訓と言われる「人のいましめ」を参考にして偽造。
これを高橋泥舟(たかはし でいしゅう)らが日光東照宮など、各地の東照宮に収めた。





徳川家康像 狩野探幽(かのう たんゆう)作画 大阪城天守閣所蔵






(原文)

人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。
不自由を常とおもへば不足なし、こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。

勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる。
おのれを責て人をせむるな。
及ばざるは過たるよりまされり。





(訳)

人の一生は重たい荷物を背負って、遠い道を歩いて行くようなものである。
なので、急ぐべきではない。

不自由であることを日常のことと思えば、不足と思うことはない。
物欲や食欲などの欲望がおこったら、貧乏だった頃のことを思い出すことがよい。

我慢をすることは、何事もなく生きていくための基本的なことである。
怒りにまかせて行動することは、敵(かたき)のようなものである。

勝つことばかりを知り、負けることを知らないと、その害は、自分の身にふりかかる。

自分自身を責めて、他人を責めるな。
金銭や物品、能力が足らないことは、それらがありすぎることよりもまさっている。

※異訳、誤訳御容赦





徳川家康の幼年時代、弱小大名だった松平家(のちの徳川家)。

3歳で母親と生き別れ、6歳で今川家の人質となってしまう徳川家康。
8歳ごろに、父親は家臣に殺害されてしまいます。

19歳ごろ(1560年)、桶狭間の戦いで、今川家の先陣をまかされます。
今川義元の敗死で、ついに今川の人質から独立。

「家康公遺訓」が心にひびく、忍耐の人と言えると思います。





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