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人に捨りたる者はこれなく候




五箇条の御書置(かきおき)。
北条氏綱公御書置ともよばれています。
その中の第二条に記載されている内容です。

1541年作。



北条氏綱(ほうじょう うじつな)が、嫡子である北条氏康(ほうじょう うじやす)に書き残した遺訓。

※遺訓(いくん)
故人の残した教え。父祖から子孫への教訓のこと。

北条氏綱は、後北条氏の第2代当主です。





北条氏綱肖像画 小田原城(おだわらじょう)所蔵






(原文)

侍中より地下人、百姓等に至迄、何も不便に可被存候。
惣別、人に捨りたる者はこれなく候。

器量、骨格、弁舌、才覚人にすくれて、然も又、道に達し、あつはれ能侍と見る処、思ひの外、武勇無調法之者あり。
又、何事も不案内にて、人のゆるしたるうつけ者に、於武道者剛強の働する者、必ある事也。

たとひ片輪なる者なり共、用ひ様にて重宝になる事多けれは、其外は、すたりたる者は一人もあるましき也。
その者の役に立処を召遣、役にたゝさるうつけ者よと、見かきりはて候事は、大将の心には浅ましくせはき心なり。

一国共持大将の下の者、善人、悪人如何程かあらん。
うつけ者とても、罪科無之内には刑罰を加へ難し。

侍中に我身は大将の御見限り被成候と存候得者、いさみの心なく、誠のうつけ者となりて、役にたゝす。
大将はいかなる者をも不便に思召候と、諸人にあまねくしらせ度事也。
皆皆役にたてんも立間敷も、大将の心にあり。

上代とても賢人は稀なる者なれは、来世には猶以あるましき也。
大将にも、十分の人にてなけれは、見あやまり、聞あやまり、いか程かあらん。

たとえは、能一番興行するに、大夫に笛を吹かせ、鼓打に舞はせては、見物なりかたし。
大夫に舞はせ、笛鼓それそれに申付なは、其人をもかへす、同役者にて能一番成就す。
武勇は国持大将の侍を召遣候事、又如此候。
罪科在之輩は、各別小身衆者可有用捨事歟。





(訳)

身分のある者、庶民や百姓など、すべての者は、いずれも有能ではないと思います。
そして、不必要である者などいない。

容貌や体格、話術、才能など他の者より優れて、しかもその道に精通して素晴らしい才能のある武将と思っても、思ったほど武勇にすぐれていない者だったりする。
よく知らない他人が愚かな者だと思っている者が、戦場では目覚ましい働きをすることがある。

身体に欠陥がある者でも、その人の用い方により、大変有用な人物になることが多いので、捨てることができる者など一人もいない。
役に立たない愚か者だと見限ってしまうことは、軍隊の指揮や統率をする者としての心構えとして、度量が狭いことである。

1国を収めている大名の下に、善人と悪人は多くはいない。
愚か者でも、罪がないうちは刑罰を加えることはできない。

側近の武将で、自分は役に立たない武将であると思った者でも、本当の愚か者となった気で、その武将を活かしていく。
上に立つ者は、どのような者でも不便なものだと思うことである。
すべての者を、役に立てるも立てないも、人の上にたつ者の心のうちにある。

昔において、賢い者は少なかったけれど、次の世になってもいっそう少なくなる。
上に立つ者でも完璧な者はいないので、見間違えたり、聞き間違えたりは数多くある。

例えば、猿楽を興行するときに、舞を舞う人に笛を吹かせて、太鼓を打つ人に舞を舞わせては、見るにたえないものである。
舞や笛鼓にそれぞれ熟練した者が、その役割を演じることによって、はじめて成功する。

戦場に出る者は、戦った経験のある武将を用いることである。
罪のある者や小さい者でも必要な者であり、不必要な者はいないのである。

※異訳、誤訳御容赦





北条氏綱という人物が、いかに魅力のある人物だったかわかる言葉です。
この主君のためならば、と命を投げ出す家臣が多かったのではないかと推察できます。
日々、会社員として働いているならば、このような主君(社長)に、願わくばついていきたいです。






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