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戦国クイズ 中級 人物編

戦国時代のクイズ 中級 人物編 (第1問から第10問)を掲載。

戦国時代における有名な大名や武将など、「一度は聞いたことがある」と思う有名な人物をクイズにしております。





 戦国クイズ 中級 人物編 第1問

豊臣秀吉のナンバー2として活躍した軍師で、天下取りに貢献した人物。
そのあまりの才能ゆえに秀吉から警戒されて、自ら隠居して如水(じょすい)と名を変えた武将は誰?










答え : 黒田官兵衛(くろだかんべえ)

〇もう少し詳しく解説
調略や外交、軍事に優れており、戦績は57戦無敗を誇るほどの戦上手(いくさじょうず)。
「官兵衛に多くの領地を与えると、すぐに天下をとってしまうだろう」と秀吉に言わしめた。
豊臣秀吉が最も恐れた天才武将といわれている。
変名において、如水(私は水のように、野望も何もありません)と表明しています。



 戦国クイズ 中級 人物編 第2問

豊臣秀吉の官僚として活躍、豊臣政権の五奉行の1人となった人物。
徳川家康を倒すために決起して関ヶ原(せきがはら)の戦いで戦ったが敗北した武将は誰?










答え : 石田三成(いしだみつなり)

〇もう少し詳しく解説
石田三成は徳川家康打倒のため、毛利輝元(もうりてるもと)ら諸大名とともに西軍を組織したが、
関ヶ原の戦いで敗れ、逃亡中に捕縛されて六条河原(ろくじょうがわら)で処刑された。


 戦国クイズ 中級 人物編 第3問

豊臣秀吉子飼いの家臣で、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで戦功のあった「賤ヶ岳の七本槍」のうちの1人で、熊本城を造った人物は誰?










答え : 加藤清正(かとうきよまさ)

〇もう少し詳しく解説
加藤清正は朝鮮出兵で虎を退治したといわれたほどの猛将。
熊本城は、のちに西郷隆盛(さいごうたかもり)でさえ陥落することができなかったほどの堅城。



 戦国クイズ 中級 人物編 第4問

米沢藩の大名である上杉景勝(うえすぎかげかつ)の家老をつとめた人物で、自分の兜(かぶと)に「愛」の文字をかかげて戦った武将は誰?










答え : 直江兼続(なおえかねつぐ)

〇もう少し詳しく解説
兜の前立て(まえだて)の「愛」は、Loveの「愛」の意味ではなく、愛染明王(あいぜんみょうおう)の「愛」である。
愛染明王は愛を司る神(戦に勝つ神)として上杉家が信仰していた。
豊臣秀吉から「家臣にならないか?」と誘われたが、「主君は上杉景勝のみ」と断固拒絶。
上杉家の領土が4分の1になっても主君を見捨てず、また家臣を減らすことにも反対して、上杉家に忠誠を誓い続けた。



 戦国クイズ 中級 人物編 第5問

上杉景勝に仕えていた武将で、派手な衣装を着て権力に屈しない傾奇者(かぶきもの)として有名な武将。
天下人の豊臣秀吉に対して頭を下げずに褒められたことがある人物は誰?










答え : 前田慶次(まえだけいじ)

〇もう少し詳しく解説
前田利益(まえだとします)とも呼ばれる。
穀蔵院飄戸斎(こくぞういんひょっとこさい)、穀蔵院忽之斎(こくぞういんひょつとさい)、龍砕軒不便斎(りゅうさいけんふべんさい)などお遊びな別名も持っている。
ある日、評判の傾奇者を見たかった豊臣秀吉から「登城しろ」と言われた。
普通は正装をしていくものだが、虎柄の派手な衣装で登場。
自分の主君以外には頭を下げたくないため、顔を横に向けて、ちょんまげだけを前を向くようにお辞儀した。
本来なら切腹を命じられてもおかしくない状況。
しかし、秀吉は許し、今後はどこでも傾(かぶ)いてよいとお墨付きをもらったとのこと。
この出来事から本物の傾奇者として世間に周知された。



 戦国クイズ 中級 人物編 第6問

北近江(きたおうみ)現在の滋賀県北部をおさめていた大名で、織田信長の妹であるお市の方(おいちのかた)と結婚した人物は誰?










答え : 浅井長政(あざいながまさ)

〇もう少し詳しく解説
お市の方と結婚して、織田信長と浅井氏は同盟を締結した。
お市の方は戦国一の美女で聡明だったといわれている。
のちに、織田家との同盟締結を破棄、織田軍との戦いに敗れて自害した。



 戦国クイズ 中級 人物編 第7問

あらゆる策略を用いて、一代のうちに国人領主(こくじんりょうしゅ)から中国地方六ヶ国を支配する大大名へとのし上がった人物は誰?










答え : 毛利元就(もうりもとなり)

〇もう少し詳しく解説
用意周到かつ合理的な策略、危険を顧みない駆け引きで自軍を勝利に導く策略家として知られる。
毛利元就のすぐれた知略や戦略を織田信長は恐れていた。




 戦国クイズ 中級 人物編 第8問

織田信長の家臣で、槍の名人であったため「槍の又左(やりのまたざ)」とよばれており、加賀100万石の礎(いしずえ)を築いた武将は誰?










答え : 前田利家(まえだとしいえ)

〇もう少し詳しく解説
巨大な槍の長さは約6.3mほどもあり、数々の手柄をたてた。
槍は突くものというイメージがあるが、実際は突くことも出来たが、主にたたくための武器であった。



 戦国クイズ 中級 人物編 第9問

徳川家康の家臣で、徳川四天王(とくがわしてんのう)の1人に数えられた人物。
その人物は部隊の全身を赤色で統一して、「赤鬼」として敵から恐れられていた武将は誰?










答え : 井伊直政(いいなおまさ)

〇もう少し詳しく解説
井伊軍は全身を赤色で統一し、戦場で目立っていた。
「井伊の赤鬼」として恐れられた猛将。
ひこにゃんの兜(かぶと)は井伊直政の兜をモチーフにしている。



 戦国クイズ 中級 人物編 第10問

信濃(しなの)現在の長野県の豪族で、武田信玄の家臣。
武田家滅亡後は小戦国大名として自立。
その後は織田信長の軍門に降ったが、本能寺の変後に再び自立。
豊臣政権下で所領を安堵された、表裏比興の者(ひょうりひきょうのもの)といわれた武将であり大名は誰?










答え : 真田昌幸(さなだまさゆき)

〇もう少し詳しく解説
仕えたふりをして次々と裏切っては主君を変えてきた経緯から、表裏比興の者といわれている。
真田家やその家臣を守るために、織田や徳川、豊臣といくつもの大勢力に味方した。



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