戦国時代を中心に、大名や武将、ゲーム等について紹介。

歴史を楽しむ!

戦国クイズ 上級 人物編

戦国時代のクイズ 上級 人物編 (第21問から第30問)を掲載。

戦国時代における大名や武将など、「詳しい人のみぞ知る」と思う人物をクイズにしております。





 戦国クイズ 上級 人物編 第21問

織田家の家臣。
妻となった千代は「内助の功」で有名。
のちに土佐藩の初代藩主となった武将は誰?










答え : 山内一豊(やまうちかずとよ、かつとよ)

〇もう少し詳しく解説
妻の千代は夫である一豊のために、嫁入りの持参金で名馬鏡栗毛(かがみくりげ)を購入した。
この逸話は第二次世界大戦以前の日本で教科書にとり上げられ、女性のあるべき姿として学校教育に採用された。



 戦国クイズ 上級 人物編 第22問

織田信長の甲州征伐が始まると、武田家から離反した人物。
本能寺の変の直後、一緒にいた徳川家康と共に畿内を脱出。
その逃走の途中で、襲撃を受けて亡くなった武将は誰?











答え : 穴山信君(あなやまのぶただ)

〇もう少し詳しく解説
穴山梅雪(あなやま ばいせつ)、武田信君の名でも知られている。
甲斐一国の拝領と武田家の名跡継承を条件に、徳川家康の誘いに乗って織田信長に寝返った。
「フロイス日本史」に、穴山信君は家康一行から遅れて単独で移動していたところを、地元民による落ち武者狩りの襲撃にあって殺害されたと記載がある。



 戦国クイズ 上級 人物編 第23問

宇喜多家に仕え、のちに豊臣秀吉の家臣となった人物。
1592年の朝鮮出兵では、秀吉から先鋒を命じられた。
関ヶ原の戦いでは西軍の将として奮戦したが、敗北して捕縛された武将は誰?










答え : 小西行長(こにしゆきなが)

〇もう少し詳しく解説
堺の商人である小西隆佐(こにしりゅうさ)の次男として京都で生まれた。
高山右近の後押しもあり洗礼を受けキリシタンとなり、熱心なキリスト教信者となった。
関ヶ原の戦いで敗れて捕縛されたが、自殺を禁じられたキリシタンであったために切腹を拒否して斬首された。



 戦国クイズ 上級 人物編 第24問

織田信長の妹で、浅井長政に嫁いだ女性は誰?










答え : お市の方(おいちのかた)

〇もう少し詳しく解説
戦国一の美女と言われており、さらに聡明だったと伝えられている。
浅井長政との間に3人の娘、茶々や初、江(ごう)を生み育てた。
浅井長政と死別したのち、織田家の重臣である柴田勝家の正室となった。



 戦国クイズ 上級 人物編 第25問

織田信長の父親。
家臣の地位から、尾張各地や西三河まで支配する実質的な戦国大名となった人物は誰?










答え : 織田信秀(おだのぶひで)

〇もう少し詳しく解説
智勇に優れた武将で尾張国を代表する勢力となり、信長飛躍の基盤を作った。
籠城せずに必ず打って出る戦闘方法や、勢力拡大のために兄弟姉妹や息子、娘を利用した縁組戦略を重視していた。
主家である大和守家や主君である尾張守護斯波家への臣従関係は保ちつつ、自分の勢力を拡大していった。



 戦国クイズ 上級 人物編 第26問

豊臣秀吉の命令で、島津軍を討伐するため九州征伐が始まった。
戸次川の戦い(へつぎがわのたたかい)で先陣をつとめたが、釣り野伏せ(つりのぶせ)を準備していた島津軍に対し敗走。
敗戦の責を負い改易された大名は誰?










答え : 仙石秀久(せんごくひでひさ)

〇もう少し詳しく解説
仙石権兵衛ともよばれている。
戸次川の戦いでは、先鋒をつとめる仙石の部隊が壊滅的な打撃をうけて敗走。
第2陣の長宗我部信親隊や十河存保(そごうまさやす)隊も総崩れとなり、両武将とも討死した。



 戦国クイズ 上級 人物編 第27問

賤ヶ岳の七本槍の一人として知られている人物。
関ヶ原の戦いでは東軍の主力として宇喜多秀家軍と激戦を行い、褒美として安芸備後50万石を得た武将は誰?










答え : 福島正則(ふくしままさのり)

〇もう少し詳しく解説
関ヶ原の戦いでは、宇喜多秀家軍、約1万7,000と戦闘を行った。
福島勢は一時退却を余儀なくされることもあった激戦であったが、なんとか宇喜多勢の進撃を防ぎ切ることに成功。
やがて小早川秀秋の裏切りを機に西軍の戦線は崩壊、東軍勝利となった。



 戦国クイズ 上級 人物編 第28問

黒田家の家臣。
「黒田節」に謡われる名槍「日本号」を福島正則から呑み獲った逸話で知られている人物は誰?










答え : 母里友信(もりとものぶ)

〇もう少し詳しく解説
母里太兵衛(もりたへえ)ともよばれ、槍術に優れた剛力の勇将として知られる。
ある日、福島正則は母里に対して、大杯に酒を注ぎ「貴殿がそれを飲み干したら、何でも望む物を与えよう」と言って強要した。
母里はみごとその酒を飲み干して、名槍「日本号」を所望すると言った。
福島正則は言ったことを後悔したが、武士に二言はないと「日本号」を母里に譲り渡した。
以後、名槍「日本号」はこの逸話になぞらえて「呑み取りの槍」とも呼ばれている。
日本号(にほんごう、ひのもとごう)は天下三名槍と呼ばれた槍の1つです。



 戦国クイズ 上級 人物編 第29問

土佐国の戦国大名、長宗我部元親の嫡男。
島津家久率いる島津勢との戦い(戸次川の戦い)で討死した武将は誰?











答え : 長宗我部信親(ちょうそかべのぶちか)

〇もう少し詳しく解説
信親は文武に優れており、父である元親は将来を大いに期待していた。
家臣や土佐国の民からの人望も厚かったといわれている。
信親の早すぎる死は後継者として育て上げていた元親にとって悲嘆がかなり強かったといわれている。



 戦国クイズ 上級 人物編 第30問

豊臣秀吉の家臣で、業病(ごうびょう)を患って失明した人物。
関ヶ原の戦いでは、西軍の将として輿に乗って軍の指揮を執った。
小早川秀秋らの離反で敗戦すると、家臣である湯浅隆貞(五助)の介錯で切腹した武将は誰?










答え : 大谷吉継(おおたによしつぐ)

〇もう少し詳しく解説
顔を隠すための白頭巾をまとった姿で描かれることが多い。
関ヶ原の戦いの前に、親友の石田三成から家康に対して挙兵を持ちかけられた。
これに対して吉継は、3度にわたって「無謀であり、三成に勝機なし」と挙兵を断念するよう説得した。
しかし、三成の固い決意を知り熱意にうたれると、敗戦を予測しながらも三成の下に馳せ参じて西軍に与したと伝わっています。



次の問題

戦国クイズ トップページ



ページのトップに戻る