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戦国クイズ 上級 人物編

戦国時代のクイズ 上級 人物編 (第31問から第40問)を掲載。

戦国時代における大名や武将など、「詳しい人のみぞ知る」と思う人物をクイズにしております。





 戦国クイズ 上級 人物編 第31問

豊臣秀吉の異父弟。
豊臣政権下で、政務および軍事面で活躍を見せて天下統一に貢献した人物は誰?










答え : 豊臣秀長(とよとみひでなが)

〇もう少し詳しく解説
温和で人望が高く、他大名との交渉役をつとめた。
秀吉は秀長を重用し、豊臣政権の安定には欠かせぬ貴重な人物だった。
秀吉に先立って死去したとき、その死を大変惜しまれた。



 戦国クイズ 上級 人物編 第32問

島津家の家臣で、島津家久の長男。
関ヶ原の戦いでは退却戦の殿軍をつとめ、井伊直政勢と戦って討死した武将は誰?










答え : 島津豊久(しまづとよひさ)

〇もう少し詳しく解説
「薩藩旧記雑録」に、「鉄砲で井伊直政を落馬させ、東軍の追討を撃退。島津豊久、大量に出血」という内容が記されています。
豊久らの決死の活躍で、島津義弘は無事に薩摩へと帰還する事ができた。



 戦国クイズ 上級 人物編 第33問

宝蔵院流槍術を学んでおり、槍の名手として知られた人物。
笹の才蔵の異名を取った武将は誰?










答え : 可児吉長(かによしなが)

〇もう少し詳しく解説
通称の可児才蔵(かにさいぞう)でよく知られている。
才蔵は敵の首を討つことが常に多く、腰に抱えることができなかった。
そのため、自分の指物である笹の葉を取って、討ち取った首の切り口に入れておいた(あるいは口にくわえさせた)という。
才蔵の討った首ということが合戦の直後にすぐにわかったという。
これらの経緯から「笹の才蔵」と称された。
また、関ヶ原の合戦でその活躍を徳川家康から大いに賞賛された。
家康が賞賛した際、才蔵は20個もの首級をあげたといわれている。



 戦国クイズ 上級 人物編 第34問

1578年に織田家から離反して毛利家に通じ、播磨国の三木城に2年間立て籠もった大名は誰?










答え : 別所長治(べっしょながはる)

〇もう少し詳しく解説
織田家の羽柴秀吉軍の厳重な包囲による兵糧攻めに苦しみ「三木の干殺し」とよばれた。
籠城開始から約2年後の天正8年(1580年)1月、長治や弟の友之、叔父である吉親の切腹と引き換えに、城兵を助命するとの条件で開城した。



 戦国クイズ 上級 人物編 第35問

黒田孝高、加藤清正と並び、築城三名人の一人。
高禄をもとめて主家を転々とし、のちに伊勢津藩の初代藩主となった武将は誰?










答え : 藤堂高虎(とうどうたかとら)

〇もう少し詳しく解説
高石垣の技術をはじめ、石垣に多聞櫓を巡らす築城の巧みさは、その第一人者であった。
元和2年(1616年)4月1日、病状が悪化した家康は堀直寄を呼び、
「国家に万一のことがあれば高虎を先鋒とし、彦根の井伊を二陣とせよ。汝はその中間に備えて横槍をせよ」と遺言したとされる。
外様大名でありながら、徳川家康の側近として幕閣にも匹敵する実力を持つ異能の武将であったといえる。



 戦国クイズ 上級 人物編 第36問

毛利元就の三男。
竹原小早川家を継承して、のちに沼田小早川家も継承し両家を統合。
吉川元春と共に毛利両川として、毛利家の発展に尽くした人物は誰?










答え : 小早川隆景(こばやかわたかかげ)

〇もう少し詳しく解説
毛利水軍の指揮官として活躍し、水軍の情報収集力を活かして主に政務や外交面を担当した。
豊臣政権下では豊臣秀吉の信任を受け、五大老の一人に任じられている。



 戦国クイズ 上級 人物編 第37問

天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで、豊臣方の武将として戦った人物。
鎧の上に白装束を羽織った姿で出馬し奮戦するも、最期は鉄砲にて討ち取られた武将は誰?










答え : 森長可(もりながよし)

〇もう少し詳しく解説
すぐれた槍術にて数々の武功をあげ、「鬼武蔵」と称された。
「人間無骨」の銘が彫られた二代目和泉守兼定作の十文字槍を愛用。
小牧・長久手の戦いでは、豊臣軍と徳川軍はこう着状態の戦況だった。
その状況を打破すべく、羽柴秀次を総大将とした三河国の中入り部隊に、長可は第2陣の総大将として参加。
この戦に際して長可は、鎧の上に白装束を羽織った姿で出馬して不退転の覚悟で望んだ。
井伊直政の軍と激突して奮戦するも、水野勝成の家臣である鉄砲足軽の杉山孫六の狙撃で眉間を撃ち抜かれ即死した。



 戦国クイズ 上級 人物編 第38問

女性でありながら事実上の井伊家の当主となり、「女地頭」と呼ばれた人物は誰?










答え : 井伊直虎(いいなおとら)

〇もう少し詳しく解説
井伊直親らの死去により直虎しか後継者がいなかったため、女性でありながら井伊家の当主となった。
直虎は井伊直親の遺児である虎松(のちの井伊直政)を養子として育てあげた人物です。



 戦国クイズ 上級 人物編 第39問

徳川家康に古くから仕える家臣で、家老にまでのぼりつめて重用された人物。
小牧・長久手の戦いの後に出奔して豊臣秀吉に臣従した武将は誰?










答え : 石川数正(いしかわかずまさ)

〇もう少し詳しく解説
徳川家康が駿河国の大名である今川義元の人質になっていた時代から近侍として仕えていた。
家康の下から豊臣秀吉の下へ出奔した理由については、
「豊臣家との和睦派として家中で孤立を余儀なくされた」、「秀吉から帰順を説得された」などがある。
出奔した理由は、はっきりとは分かっていない。



 戦国クイズ 上級 人物編 第40問

千利休の七高弟(利休七哲)の一人。
慶長19年(1614年)に、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、内藤如安らと共にマニラに追放された武将は誰?










答え : 高山右近(たかやまうこん)

〇もう少し詳しく解説
高山重友(たかやましげとも)の名前でも有名な人物。
右近は人徳の人として知られ、多くの大名が彼の影響を受けてキリシタンとなった。
代表的なキリシタン大名として知られている。



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