信長の野望 創造
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攻略日記





豊臣の後継者






1596年3月

豊臣秀吉は「下剋上」修得。




能力値、特性ともに、日本一(ひのもと いち)の武将に成長しました。





それから、数年後・・・。










1598年8月 豊臣秀吉、病没する。


辞世の句の内容。

露(つゆ)のように、この世に生まれ落ち、露のように、はかなく消えていってしまった この身であることよ。
大坂城で過ごした栄華の日々は、夢の中の夢のように、はかないものであった。





秀吉亡き後の後継者を選択します。




後継者は、豊臣秀頼(とよとみ ひでより)に指名しました。
能力は、まずまずといったところでしょうか。









いまだ弱冠6歳です。





大坂の陣では、出陣してほしかったな〜。
大坂城の武将たちは、そう思ったでしょう。

※大坂の陣について
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣(おおさか ふゆのじん)
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣(おおさか なつのじん)
のことです。







秀吉からの贈物、特性「人たらし」を修得していました。



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豊臣秀頼が幼いこともあり。

豊臣政権の政務は、五大老(ごたいろう)にまかされていきます。

※五大老(ごたいろう)
徳川家康
毛利輝元(もうり てるもと)
上杉景勝(うえすぎ かげかつ)
前田利家(まえだ としいえ)
宇喜多秀家(うきた ひでいえ)

上記5大名のことです。





イベント発生。



1599年3月 

若い頃から、豊臣秀吉の親友であり、五大老の1人として豊臣政権を支えていた前田利家、死す。






まつは、自分が縫って作成した経帷子(きょうかたびら)を、前田利家にわたします。

※経帷子(きょうかたびら) 死者に着せる着物のこと。






前田利家は、

「わしはこれまで幾多の戦に出て、敵を殺してきたが、理由なく人を殺したり、苦しめたことは無い」。
「だから地獄に落ちるはずが無い」。

「もし地獄へ参ったら、先に行った者どもと、閻魔・牛頭馬頭どもを相手にひと戦してくれよう」。

と言って、経帷子を着用することを拒絶します。













豊臣家は、五大老の1人である前田利家という大きな後ろ盾を失ってしまいました。










その後・・・・・。





1601年1月
ここまでプレイしました。

戦国伝も発生しないようなので。

ここで、終了にします。







豊臣家 詳細

最後は、「本城」支配数19でした。





大名になった豊臣秀頼

一度も戦場に立ちませんでした。

ゲーム内だけでも。
このまま、平和に過ごせればと思います〜。





残された豊臣一門の武将たち。

優れた武将だった豊臣秀吉や豊臣秀長はすでに亡く。
今後の豊臣政権は、心配です。






1601年1月の日本地図


豊臣家は、近畿付近、四国東北部、九州北中部、信濃付近の一部を領有しています。





最後まで見ていただき、ありがとうございました。

また、どこかの大名でお会いしましょう!





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