信長の野望 創造
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攻略日記





織田信雄の寝返りと秀吉との和睦






前回の内容

羽柴軍の中入り部隊の侵攻を打ち破り、勝利した徳川軍。





いまだ、犬山城付近に多数の羽柴軍。






少しすると。

羽柴軍は退却していきました。
てこずりそうなので、戦わずにすんでよかった〜。










それから、1ヶ月ほど経過して。

イベント発生。


史実において

合戦から半年以上経った頃、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、織田信雄(おだ のぶかつ)に講和を申し入れたとのこと。
羽柴家に伊賀と伊勢半国の割譲(かつじょう)が条件です。

織田信雄はその不利な条件を受諾します。



羽柴秀吉と織田信雄の講和により、徳川家康は戦争の大義名分を失ってしまうことになりました。









「服部半蔵」として、世間でよく知られているのは、徳川家康に仕えた2代目の人物だそうです。

2代目「服部半蔵」は、甲冑を着て、足軽を率いていた武士だったとのこと。











徳川家は羽柴家と戦闘継続するか、または、和睦(わぼく)するか悩みます。










少しして・・・・。



北条家から。

徳川を盟主とし、連合を組んで、羽柴家を打倒したいとの申し出あり。


ここは、戦国伝のことを考えて、「拒否」しました。



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羽柴家との関係「断絶」状態から、1年以上をかけて羽柴家の信用を回復。





やっとこさ。

羽柴家と6ヶ月の同盟を締結しました。


まぁ、羽柴と徳川の戦力差を考えれば、戦略的に妥当な選択です。





イベント発生。





羽柴秀吉と和睦した徳川家康。





徳川家康は、羽柴秀吉と北条家との仲を、とりもとうとします。

しかし、北条は羽柴秀吉に歩み寄ろうとはしません。









史実において

北条家を倒したあと、徳川家康は、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に関東に移ることを命じられました。
このとき、徳川家康は江戸を本拠地と定めます。











戦国伝「鳴くまで待とう」発生。


「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」

機が熟するまで、辛抱強く待とう。
という作戦です。









数ヶ月が経過して・・・。

北条家の信用は60になりました。

イベント発生。




羽柴秀吉は、北条打倒を宣言します。



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徳川の先祖代々の土地である三河から、関東地方への転封(てんぽう)は、ほぼ決定事項のようです。

※転封(てんぽう)
知行地、所領を別の場所に移すこと。
国替(くにがえ)、移封(いほう)と、ほぼ同義。







小田原(おだわら)城は、北条家の本拠地です。

先手(さきて)は、徳川四天王の一人である榊原康政(さかきばら やすまさ)に任せます。

※先手(さきて) 
一番先に進む部隊のこと。先陣。先鋒(せんぽう)。





戦国伝「鳴くまで待とう」達成!





戦国伝「小田原征伐」発生






今回はここまで。





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