姫路城、侵攻
前の日記 : 腹が減っては戦が・・・
前回において。
長宗我部軍は大規模に軍を動かしすぎて兵糧不足に。
全軍撤退となりました。
毛利から使いの者がくる。
羽柴軍に攻め込まれています。
なかなか手ごわそう。
兵糧が少ないので、精鋭部隊を派遣。
毛利と協力して、羽柴軍を撃退。
三石城の防衛に成功。
毛利に貸しを作りました~。
羽柴軍を撃退して、そのままカウンターで。
羽柴家の室津(むろつ)城に反転攻勢。
予想外に、羽柴軍の抵抗は弱かったので。
時をおかずに。
本城である姫路城にも進軍。
甘かった。
どこからともなく羽柴の大規模援軍が到着。
長宗我部全軍、撤退。
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長宗我部の部隊が撤退しているときに。
室津城を奪還しに、羽柴軍が攻めてきた。
むぅ。
長宗我部の精鋭部隊、到着。
室津城付近の羽柴軍を押し返す。
そして。
友好国、毛利に此隅(このすみ)城の攻撃依頼。
※此隅城は別名 此隅山(このすみやま)城とも呼ばれています
毛利軍、総勢14,000もの大軍にて大挙進軍中。
よし。
好機到来。
時を合わせて姫路城に進軍じゃ~。
下間頼廉(しもつま らいれん)隊、獅子奮迅の働きなり~。
羽柴の数部隊、移動確認。
毛利に攻め込まれて、此隅城救援に向かった模様。
よし、作戦どおり。
どんどん姫路城から羽柴軍が北方面に去っていく。
・・・その後。
長宗我部と羽柴の両軍とも。
援軍を送り続けて、長期間の消耗戦に。
長宗我部軍の兵力は著しく減少、兵站崩壊。
結局。
長い年月をかけて、姫路城に侵攻するも。
姫路城を陥落させること、かなわず。
長宗我部は全軍撤退となりました。
あともう一歩。
もう一歩なんだけど。
うまくいきそうでいかない感じ。
このギリギリの感じが面白いんだよね~。
侵攻中。
長宗我部盛親(ちょうそかべ もりちか)が元服しました。
戦闘向きですね。
羽柴との戦いで活躍してもらいましょう。
長宗我部盛親(ちょうそかべ もりちか)列伝
父である元親(もとちか)の死後、長宗我部家の家督を継ぐ。
関ヶ原の戦いで西軍に属すが、敗色濃厚と見て戦わず帰国。その後徳川氏に謝意を表した。
しかし、帰国直後に重臣たちが浦戸(うらど)城の明け渡しに反対。
浦戸一揆(うらどいっき)を起こしたことをとがめられて、領国(りょうごく)を没収されて浪人となった。
のちに豊臣側から故郷の土佐一国の贈与を条件に、旧臣と共に大坂城に入城。
大坂の陣が勃発して、盛親や長宗我部の旧臣も戦闘に参加したが敗北。
再起を図るために逃亡するも、捕縛されてしまう。
その後、京都の大路を引廻されて京都の六条河原で処刑された。
戦国大名としての長宗我部、最後の当主となってしまいました。
今回はここまで。