戦国クイズ 合戦編
戦国時代のクイズ 合戦編(第1問から第10問)を掲載。
戦国時代における有名な合戦や争乱など、詳しい人が「一度は聞いたことがある」と思うものをクイズにしております。
戦国クイズ 合戦編 第1問
1600年、徳川家康を総大将とした東軍と、毛利輝元を総大将として石田三成らを中心に結成された西軍。
両陣営が戦闘を繰り広げた戦いの名称は何?
答え : 関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)
〇もう少し詳しく解説
関ヶ原の戦いは、1600年に美濃国の関ヶ原を中心に、日本の全国各地で戦闘が行われた。
戦力はおおよそ東軍80,000人以上、西軍74,000人以上といわれている。
天下人だった豊臣秀吉の死後、豊臣政権内部の争いから生じた。
勝利した徳川家康は強大な権力を手に入れ、江戸幕府の成立につながっていった。
織田信長の領土である尾張に侵攻してきた今川義元軍。
1560年、織田信長が本陣を奇襲攻撃して今川義元を討ち取った戦いの名称は何?
答え : 桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)
〇もう少し詳しく解説
1560年、尾張国の桶狭間における織田信長軍と今川義元軍との合戦。
戦力は今川義元軍25,000人、織田信長軍2,000人といわれている。
当時は視界を妨げるほどの豪雨が降っている中、織田軍は今川軍を強襲。
乱戦の中、今川義元は太刀を抜いて自ら奮戦したが及ばず討ち取られた。
1575年、織田信長・徳川家康の連合軍と武田勝頼の軍勢が争った戦いの名称は何?
答え : 長篠の戦い(ながしののたたかい)
〇もう少し詳しく解説
1575年、三河国にある長篠城をめぐる戦い。
戦力は織田信長と徳川家康の連合軍38,000人以上、武田軍15,000人以上といわれている。
織田信長と徳川家康の連合軍は、無防備に近い鉄砲を主力とした部隊を柵や土塁で防御。
突撃してくる武田の騎馬隊を大量の鉄砲にて迎え撃ち、武田軍に大打撃を与えた。
領土拡大のため、北信濃に侵攻した甲斐国の武田信玄(武田晴信)。
信濃の豪族から助けを求められて出陣した越後国の上杉謙信(長尾景虎)。
1553年から1564年の12年余りに及び、計5回戦いがあった。
両者の間で行われた戦いの名称は何?
答え : 川中島の戦い(かわなかじまのたたかい)
〇もう少し詳しく解説
一般に、川中島の戦いと言った場合、最大の激戦があった1561年の第4次合戦を指している。
第4次合戦の戦力は武田軍20,000人、上杉軍13,000人といわれている。
1614年冬と1615年夏、江戸幕府と豊臣家が争い、豊臣家が滅亡した戦いの総称は何?
答え : 大坂の陣(おおさかのじん)
〇もう少し詳しく解説
1614年の大坂冬の陣と、1615年の大坂夏の陣がある。
大坂冬の陣の戦力は江戸幕府200,000人、豊臣家90,000人。
大坂夏の陣の戦力は江戸幕府165,000人、豊臣家55,000人。
江戸幕府の勝利によって徳川家の支配は強固なものとなり、その後260年間続いた。
毛利家との戦いから引き返してきた羽柴秀吉の軍勢。
織田信長を討った明智光秀の軍勢。
1582年、両軍勢が争った戦いの名称は何?
答え : 山崎の戦い(やまざきのたたかい)
〇もう少し詳しく解説
1582年に行われた戦い。
羽柴軍20,000以上、明智軍10,000以上といわれている。
中国大返しとは、羽柴軍が備中高松城(現在の岡山県岡山市北区)から山城山崎(京都府大山崎町)までの約230kmの軍団大移動のこと。
日本戦史上屈指の大強行軍として知られている。
1582年、明智光秀が謀反を起こし、京都本能寺に滞在する主君の織田信長を自害に追いこんだ戦いの名称は何?
答え : 本能寺の変(ほんのうじのへん)
〇もう少し詳しく解説
1582年6月21日の早朝に行われた戦い。
戦力は織田軍20人~160人、明智軍13,000人といわれている。
織田信長は寝込みを襲われており、明智軍に完全包囲されたことを悟り、本能寺に火を放ち自害して果てた。
信長包囲網に参加するため、上洛の途上にあった武田信玄と、徳川家康・織田連合軍。
1573年、両者の間で行われた遠江国での戦いにより、武田軍は圧勝。
徳川家康は少ない供回りのみで浜松城に逃げ帰った。
この戦いの名称は何?
答え : 三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)
〇もう少し詳しく解説
1573年に行われた戦い。
戦力は武田軍27,000人以上、徳川・織田連合軍11,000人以上といわれている。
武田軍によって徳川軍は次々に壊滅していき、家康自身も追い詰められるほどだった。
この敗走は、のちの伊賀越えと並んで人生最大の危機と言われている。
1555年、安芸国にて毛利元就と陶晴賢が争い、毛利軍が勝利した戦いの名称は何?
答え : 厳島の戦い(いつくしまのたたかい)
〇もう少し詳しく解説
1555年に行われた戦い。
戦力は毛利軍4,000人(5,000人)、陶軍20,000人(30,000人)といわれている。
安芸国厳島にて毛利軍は陶軍を追い込み、逃げ場を失った陶晴賢は自刃して果てた。
1583年、近江国付近にて羽柴秀吉軍と柴田勝家軍が争った。
織田勢力を二分するほどの大勢力どうしの戦いの名称は何?
答え : 賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)
〇もう少し詳しく解説
1583年に行われた戦い。
戦力は羽柴軍50,000人(70,000人)、柴田軍30,000人といわれている。
織田勢力を二分する戦いに勝利した羽柴秀吉は、亡き織田信長を継いで天下人へとなっていった。
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