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知行(ちぎょう)と情とは車の両輪・鳥の翅(はね)




家臣に対する報酬と細やかな気づかいの関係は、車にとっての両輪であり、また、鳥にとっての羽のようなものである。
車はタイヤがなければ動かないし、鳥は羽がなければ飛ぶことができない。

つまり。

褒美だけ与えても、情がなければうまくいかない。
情だけで、褒美がなくてもいけない。
実利と情はどちらも必要である。

蒲生氏郷(がもう うじさと)の言葉です。
「名将言行録(めいしょうげんこうろく)」から抜粋





蒲生氏郷(がもう うじさと)






蒲生氏郷の逸話

近江日野にいたあるとき、家臣を自宅に呼んで酒や食事をふるまいます。
蒸し風呂(蒸気浴)を家臣にすすめて、氏郷自身は風呂を沸かして外で火加減を調整していたとのことです。
当時、蒸し風呂は最高ランクのもてなしでした。

さらに家臣の体を洗い流してあげたりしたそうです。

家臣は感動して、氏郷のために喜んで働いたそうです。
蒲生家内では「蒲生風呂」とよんだそうです。





月に一度、家臣を全員集めて自らの屋敷で会議を行ったそうです。
この会議の席上では「怨まず、怒らず」が約束事となっており、年齢や禄の大小に関わらず自由な発言が許されていたそうです。





西村左馬允という家臣が法度(はっと)を破り召し放されたが、細川忠興(ほそかわ ただおき)に頼んで帰参を許された。

※法度(はっと)
おきて。法。特に、中世や近世における法令。
禁じられていること。してはならない事柄。

ある日、氏郷は西村を呼び、相撲を申し入れた。
西村は見くびられては武士の恥だとばかりに、手加減せず一度ならず二度も氏郷に勝った。

西村は、大勢の前で主筋にあたる氏郷に恥をかかせたため、自分が手打ちになると思っていました。
しかし、氏郷は怒るどころか、翌日になって西村の知行(ちぎょう)を加増した。

西村の正直な行動に感動したとのことです。



上記の逸話から、身分の上下関係にこだわらない公平な人物だったことがわかります。





他にも。

蒲生氏郷が幼年の時、人質として織田信長に初めて会います。

信長は「蒲生が子息目付常ならず、只者(ただもの)にては有るべからず。我婿にせん」
(蒲生の息子の瞳は他の者と違う。普通の者ではあるまい。私の婿にしよう)

と言い、自身の次女を娶(めと)らせる約束をしたという。 「蒲生氏郷記」





「文武二道の御大将にて、日本におゐて一人、二人の御大名」
(文武二つの道に秀でた日本に二人といない武将)

と千利休から高く評されています。 「備前老人物語(びぜんろうじんものがたり)」

氏郷は茶湯(ちゃのゆ)に深い理解がありました。

千利休(せんのりきゅう)に師事。
利休七哲(りきゅうしちてつ)の一人(筆頭)にまで数えられています。





文武に秀でた武将、蒲生氏郷。
立派な武将だったんだろうと推測できます。





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