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孫子 軍争篇




孫子(そんし)について。

「孫子」は、紀元前500年ごろの中国春秋時代の軍事思想家である孫武(そんぶ)の作とされる兵法書です。

※紀元前500年
今から約2500年前の頃のこと

孫子は古今東西の兵法書のうち、最も著名なものの一つです。
武経七書(ぶけいしちしょ)の一つ。





孫子の兵法書






「孫子」の「軍争篇」の内容を紹介します。





1

(書き下し文)

孫子、曰く、

凡(およ)そ兵を用うるの法、将、命を君に受け、軍を合わせ衆を聚(あつ)め、和を交えて舎するに、軍争より難(かた)きは莫(な)し。
軍争の難きは、迂(う)を以て直と為し、患を以て利と為せばなり。

故に其(そ)の途(みち)を迂にして、之(これ)を誘(いざな)うに利を以てし、人に後れて発し、人に先んじて至る。
これ迂直の計を知る者なり。



(訳)

孫子は言う。

およそ戦争をするときの方法は、将軍が君命を受け、軍を統合して兵を集め、敵と対陣しつつ宿営するが、敵軍との戦いほど難しいものはない。
敵との戦いが難しいのは、曲がりくねった道をまっすぐな近道とし、有害なことを有利なことにしなければならないからである。

ゆえに、曲がりくねった道を進みながら、利をもちいて敵を誘い、行動を遅らせて、こちらは敵より遅れて出発するも先に到着する。
これを曲がりくねった遠回りの道を近道とする計略を知っている者という。





2

(書き下し文)

故に、軍争は利たり、軍争は危たり。
軍を挙げて利を争えば、則(すなわ)ち及ばず、軍を委(す)てて利を争えば、則ち輜重(しちょう)捐(す)てらるればなり。

是(こ)の故に甲を巻きて趨(はし)り、日夜処(お)らず、道を倍して兼行し、百里(ひゃくり)にして利を争えば、則ち三将軍を擒(とりこ)にす。
勁(つよ)き者は先んじ、疲るる者は後れ、其の法十が一にして至ればなり。

五十里にして利を争えば、則ち上将軍を蹷(たお)す。
其の法半ば至ればなり。

三十里にして利を争えば、則ち三分の二至る。
是の故に軍、輜重無ければ則ち亡(ほろ)び、糧食無ければ則ち亡び、委積(いし)無ければ則ち亡ぶ。

故に諸侯の謀を知らざるものは、予(あらかじ)め交わること能(あた)わず。
山林、険阻、沮沢(しょたく)の形を知らざれば、軍を行(や)ること能わず。
郷導を用いざれば、地の利を得ること能わず。



(訳)

そのため、戦争は利益を得たり、反対に危ないこともある。
全軍をあげて敵と利を争えば、軍の移動などに時間がかかり、うまくいかないことがある。
一部の兵を置き去りにして利を争う場合、後方の補給部隊が置き去りになる。

鎧を着用しないで身軽にして急いで走り、昼夜を問わず、2倍の道程を強行して、約4kmほどの遠方にて敵と争うと、上将軍から下位の将軍まで、全ての将軍が敵の捕虜となるだろう。
なぜなら、体力のある兵など強き兵は先になり、疲れている兵は後れ、全軍の10分の1ほどしか戦いに参加できないからである。

約2kmの遠方で敵と交戦するならば、上将軍は敗れるだろう。
なぜなら、強行軍のために、全軍の半数しか戦闘に参加できないからである。

約1kmの遠方で敵と交戦するならば、全軍の3分の2が到着するだろう。
しかし、物資を補給する補給部隊が到着していないため、敗北してしまう。
食料がなければ敗北し、物資の貯蓄がなければ敗北する。

隣国諸侯の目的や計画を知らなければ、あらかじめ隣国と同盟することはできない。
山林や地形が険しい場所、湿地帯の場所が分からなければ、行軍することはできない。
その土地の道案内人を用いないと、地形の有利を得ることはできない。





3

(書き下し文)

故に兵は詐(さ)を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり。
故に其の疾(はや)きこと風の如(ごと)く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如く、知り難(がた)きこと陰の如く、動くこと雷震の如く、郷に掠(かす)めて衆に分ち、地を廓(ひろ)めて利を分ち、権を懸(か)けて動く。
先ず迂直(うちょく)の計を知る者は勝つ。
此れ軍争の法なり。



(訳)

それゆえ、戦争は敵をあざむくことを基本として、利によって行動し、分散や集合したりして変化する。
したがって、軍が移動するときは風のように速く、軍の陣容は林のように静かで、攻撃するときは火のような勢いに乗じて、陣形を崩さずに動かないことは山のように、味方の軍略が敵に知られないことは闇のように、軍が動くときは雷のように、村を略奪して兵に分配し、土地を奪った後にその利益を分配して、すべての利害や損得を考慮して行動する。

何よりまずは、曲がりくねった遠回りの道を近道とする計略を知っている者が勝利する。
これが戦争の法則である。





4

(書き下し文)

軍政に曰く、言うこと相聞えず、故に金鼓を為(つく)る。
視ること相見えず、故に旌旗(せいき)を為る、と。
夫れ金鼓・旌旗は、人の耳目(じもく)を一にする所以(ゆえん)なり。

人既に専一なれば、則ち勇者も独り進むを得ず、怯者(きょうしゃ)も独り退くを得ず。
此れ衆を用うるの法なり。

故に夜戦には火鼓を多くし、昼戦には旌旗を多くす。
人の耳目を変ずる所以なり。
故に三軍は気を奪うべく、将軍は心を奪うべし。



(訳)

軍書に言われていることは、口で命令しても聞こえないので、鐘や太鼓を作成する。
目で見てもよく見えないため、旗印を作成した、と。
そもそも、鐘や太鼓、旗印は、兵の耳目をひとつにするためのものである。

兵がひとつにまとまっているならば、勇敢な者も自分勝手に独りで進むことができず、卑怯な者も自分勝手に独りで退くことはできない。
これが軍衆を扱う法則である。

そのため、夜の戦闘では松明や太鼓を多く使用し、昼の戦闘では旗印を多く使用する。
これにより、敵の耳目を混乱させる。
このようにして、敵軍の勢いを奪うことができ、敵の将軍の戦闘意欲を奪うことができる。





5

(書き下し文)

是の故に朝気は鋭く、昼気は惰(おこた)り、暮気は帰る。
故に善(よ)く兵を用うる者は、其の鋭気を避け、其の惰気(だき)を撃つ。
此れ気を治むる者なり。

治を以て乱を待ち、静を以て譁(か)を待つ。
此れ心を治むる者なり。

近きを以て遠きを待ち、佚(いつ)を以て労を待ち、飽を以て饑(き)を待つ。
此れ力を治むる者なり。

正正(せいせい)の旗を邀(むか)うる無かれ、堂堂の陣を撃つ勿(な)かれ。
此れ変を治むる者なり。



(訳)

おおよそ朝の気力は高く、昼の気力はだらけており、夕方の気力はおとろえている。
なので、戦上手な者は敵の鋭気を避けて、気力がおとろえているところを攻撃する。
これは敵の気力をうまくあつかう者である。

味方が一致団結した状態で敵が乱れることを待ち、味方が静かな状態で敵が騒いでいる状態を待って攻撃する。
これは敵の心をうまくあつかう者である。

味方は戦場の近くにいて遠くからやってくる敵を待ち、味方は休息していて疲労した敵を待ち、味方は食料を確保した状態で空腹な敵を待つ。
これは戦力をうまくあつかう者である。

陣が整って勢いが盛んな敵を迎え撃つべきではなく、堂々とした陣をはっている敵を攻撃するべきではない。
これは敵の情勢に応じて変化をうまくあつかう者である。





6

(書き下し文)

故に兵を用うるの法、高陵には向う勿かれ、丘を背にするには逆(さから)う勿かれ、佯(いつわ)り北(に)ぐるには従う勿かれ、鋭卒は攻むる勿かれ、餌兵は食(くら)う勿かれ、帰師は遏(とど)むる勿かれ、師を囲めば必ず闕(か)き、窮寇(きゅうこう)には迫る勿かれ。
此れ兵を用うるの法なり。



(訳)

したがって、戦争をする方法は、高い丘の上に陣を張っている敵には攻撃するべきではなく、丘を背にしている敵には争うべきではなく、偽って逃げる敵を追撃するべきではなく、気力の充実した敵は攻撃すべきではなく、おとりの敵兵の誘いに乗ってはならず、撤退する敵軍を防ぎ止めてはならず、敵の大軍を包囲した場合は一方の逃げ道を必ずあけておき、窮地におちいった敵を攻撃してはならない。
これが戦争の法則である。





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