金を貯め込むのは、良き士を牢に押し込むに等しい
豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の名言です。
豊臣秀吉像 狩野光信(かのう みつのぶ)作画 高台寺(こうだいじ)所蔵
まずは、豊臣秀吉という人物の簡単なおさらいです。
豊臣秀吉は、最初、今川家に仕えるも出奔(しゅっぽん)。
※出奔(しゅっぽん)
逃げだして行方をくらますこと。逐電 (ちくでん) 。
次に織田信長に仕官、次第に頭角を現します。
織田信長が本能寺の変で明智光秀(あけち みつひで)に討たれた後、すぐに明智光秀軍と戦い勝利。
その後の織田家の内部勢力争いに勝ち、織田信長の後継の地位を得ます。
大坂城を築き、関白(かんぱく)や太政大臣(だいじょうだいじん または だじょうだいじん)に就任。
朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従(しんじゅう)させて天下統一を果たしました。
天下統一を果たした豊臣秀吉。
全国の金山や銀山を独占して、大量の金銀を所有。
主要都市を直轄領として収入源としました。
そのおかげで、豊臣政権の資金は莫大でした。
京都に聚楽第(じゅらくてい または じゅらくだい)の建物を建築します。
聚楽第の建物には、大量の金箔瓦(きんぱくがわら)が用いられていました。
大量の資金を投入したことがわかります。
さらに聚楽第の落成に大勢の皇族、公家、大名を招待。
金子(きんす)4,700枚、銀子(ぎんす)21,000枚を一日がかりで分け与えたそうです。
金子は「菱大判(ひしおおばん)」と言われる大判で、1枚おおよそ400万円ほどの価値があります。
ものすごい「ばらまき」を実行したそうです。
「金を貯め込むのは、良き士を牢に押し込むに等しい」
「大気者(たいきもの」や「人たらし」とよばれていた豊臣秀吉。
若い頃から、おしげもなく自分の使用できるお金を他人に分け与えていたのかなと思います。
お金の使い方をよく知っていた。
まさに「生き金」としたのでしょう。