戦国時代の大名や武将、ゲーム等について紹介。

歴史を楽しむ!

山内千代(やまうち ちよ)




山内千代(やまうち ちよ)は、山内一豊(やまうち かずとよ)の妻です。
「まつ」ともいわれることがあります。
のちに見性院(けんしょういん)とよばれました。





見性院像(土佐山内家宝物資料館所蔵)




夫である山内一豊は豊臣秀吉や徳川家康に仕えました。
のちの関ヶ原の戦いでは徳川方に味方した功績により、土佐国20万石を与えられました。





今回は山内一豊の妻である「千代」の話です。
以下、「千代」と記載します。



逸話として残っています。

江戸時代に書かれた「藩翰譜(はんかんふ)」に記載があります。
著者は儒者の新井白石(あらい はくせき)です。



千代と夫である一豊にある出来事がおこります。

一豊はある日、市中でよい馬とめぐり合います。

大変馬を気に入った一豊は、家に帰って千代に馬の話をしました。

「いい馬がいたのだが、買うに買えない」
「いい馬がいなければ出世できない」

と一豊はつぶやきました。



「その馬はいくらでしたか?」と千代は一豊に聞きました。

一豊「黄金10両」と答えました。
現在の価値で約100万円です。



それを聞いた千代は奥に行くと、一豊の目の前にそっと10両を置きました。

一豊は10両もの大金に驚きます。

生活費に困り、妻である千代は髪を切ってまでお金に替えていたぐらいでした。
そのぐらいとても貧しい生活をおくってきたからでした。



夫である一豊は千代の顔をみつめます。

千代は「夫の一大事に使いなさい。と父に言われていました」と言いました。
結婚したときの持参金として千代は今まで大事に保管していたのです。

「一豊がよい馬を所持すること」が一大事だと、千代はこのとき思ったのです。

戦国時代の馬は味方部隊の士気高揚や戦を有利にする役割があったからです。



その後、一豊は名馬を手に入れて活躍していきます。
また、千代の倹約により、一豊はより多くの家臣を召し抱えて豊臣秀吉配下として出世をしていきました。



大金の10両は生き金となり、のちに何倍にもなって戻ってきたのでした。





土佐国群書類従(とさのくにぐんしょるいじゅう)には以下の記載があります。

「一豊の戦いでの功績の影には、妻千代の助けが大きくはたらいていた」

内助の功。(内部から与える援助。 特に妻が家庭内において夫の働きを助けること)

妻千代は夫の出世を裏から大きく支えていたのでした。